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よもやま保育談議09 ◯◯の自由



藤田進(以下、進):保育における自由の取り違い……、保育における自由って何だろうね?


松本崇史(以下、松):行動の自由とかそういうことじゃなくて、魂の自由。


:名言だわ。そりゃ大事。魂の自由は見失っちゃダメよ。


:うん。やらなきゃいけない仕事の最終的な所を見失うと不自由感じるんだよね。

:自由をどういうふうに取り違えているのかを知るために、「◯◯の自由」っていうふうにすると考えやすいかもしれない。行動の自由、行動範囲(場所)の自由、選択の自由……。


:それでいくと、「生活スキルにおける自由」と「遊びの自由」は、◯◯の大きなカテゴリが違うよね。


:整理する前に、◯◯が大きく2つのカテゴリに分かれた(笑)。「生活スキルにおける自由」っていうのは、社会の中での自分の立ち振る舞いのことよね。生きやすくなるための。


:そう。自分の立ち振る舞いって、他者のことを考えてやることだからね。で、そこにはスキルが必要なわけだ。


:スキルっていうのは、生活の中で身につけていくものよね?社会生活を営んでいく中で必要なもの。


:そう。生活習慣みたいなものよ。それを保育の中で、どうすると身につけていくことができるのか?そのスキルを得るために必要な自由や規律とは?


:お、少し道筋が見えてきた。なるほど。


:この◯◯の違いがわからないと自由は捉えられないし、違いが分かれば、最終的に自由って言葉がいらなくなるかもね。


:あのさ、自由ってさ、何のためにこどもにとって必要?


:人となるためにだな。


:うん、そうだ。僕たちはさ、「自由」ってものを人間にとって必要不可欠なこと、人が育つための根本的な基盤みたいに捉えてる。その上で、保育の中で、「どう自由を味わうのか?」ってことを考えてるんだよ。その先に、個別に具体的な方法があって、「◯◯の自由」の保障や環境が出てくる。選択の自由や移動の自由とかね。


:それたぶんさ、「環境を通して保育する」の「環境」と五領域の「環境」が、ちゃんと分けられて理解されてないのと同じだ。


:言葉は同じだけど、レイヤーが違うんだよね。自由の話をするときに、「人間にとって自由とは?」みたいな話と、「具体的な保育の中での◯◯の自由」の話が混ざってるから、見えにくくなるんだわ。


:そう考えると、大前提の議論は、まず「自由でいいのか?」って議論になる(笑)。


:それは、もちろん自由でいいんだよ。この国ではさ。民主主義だし。大前提の話ってさ、ふだん話さないし意識もしないから大事。もっと議論した方がいいよね、ここ。


:だからさ、園の特色に民主主義を出したいのよ。そこの大前提が抜け落ちると、すべてが不自由になりかねないって思うんだよね、最近。


:自由に骨子を与えてより明確にする。今の状態よりは、よくなると思うわ。



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松本崇史(まつもとたかし)
鳴門教育大学で保育・絵本を学ぶ。絵本屋を経験し、その後、任天会の日野の森こども園にて園長を行い、ほとんど事務所におらず現場にいながら、こどもたちと遊びを謳歌している。現在、おおとりの森こども園園長。雑誌『げんき』にて「保育ってステキ」を連載中 藤田進(ふじたすすむ)
好奇心や探究心をたっぷり使いながらこどもと日々を過ごせるように、そして、こどもとこの地球や社会をどのように分かち合うかを模索しながら、絵本やおもちゃの販売、庭しんぶんの発行、研修事業などを運営中。札幌第一こどものとも社代表。庭しんぶん編集長。3児の父。

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