前回のあらすじ
「物語えほんの歴史」最終回!物語絵本の歴史を掘り下げたら、「語る」ことを見つめ直すことになりました。こどもとの日常の中で語り合うこと。そこが物語絵本の生まれ出てくるところ。
藤田進(以下、進):物語の役割って、「世界や自分自身と出会うことじゃないか」って話しましたけど、その物語が生まれるところって元をたどれば、日常生活の中から生み出されてきているものですよね。
松本崇史(以下、松):そう。ごく普通の何気ない毎日だったり、たあいもない会話だったりすると思う。物語は日常の中にたくさんあるもの。
進:僕たち、なんとなく人生や経験を積み重ねて成長するっていうけど、そうじゃなくて「布みたいに織り合わされていくもの」っていつか言っていたでしょ?
松:人生って、時間を積み重ねて成長していくんじゃなくて、布みたいに織り込んで紡ぎ出されていくってやつね。ニュージーランドのテファリキだ。
進:織り込んでいくって意識、むちゃくちゃ大事だと思うんですよね。こどもを見る場合にも。そして「物語を紡ぐ」っていうように、言葉 / 物語も折り合わせるってほうがしっくりくる。
松:日常の中のよいことも悪いことも含めて、日常のすべてが紡ぎ合わされて言葉 / 物語になる。そしてその物語によし悪しをつけないで、まずは自分自身が受け止める必要があるよね。だって、それがその人の言葉であり、物語だから。
進:その受け止める「幅」が、絵本の役割の「幅」って言っていたことと通じるな。たとえどんなにつたない言葉であっても、そこから始めないと始まらないし。
松:そう思うね。自分の日常の感覚は大切にしたほうがいい。そういう日常から漏れ出る物語には、普遍性があるし、出来合いの物語よりがぜんおもしろいぞ。何より、そういう物語は自分の人生が問われる。
進:そこにはさ、生きることの楽しみや喜び(生命の肯定)があってほしい。僕たちは絵本の中にそういう物語を探しているんだ。(「物語えほんの歴史」おわり)
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