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Q. 藤田家では、お小遣いはどうしていましたか?



A

小学1年生から小遣い帳と一緒に小遣いを渡しました。金額は1年生100円、2年生200円、順に6年生になると600円でした。中学生になったら交渉もあり、話して金額を決めていました。


目的は、こどもがお金とどう付き合うのかを見ることです。月の終わりに小遣い帳を見せてもらいます。収入と支出の計算と現金が合っていたら、月初めに小遣いを渡します。こどもと関わることができる楽しい時間です。何を購入したかについてはよしあしを言いません。お小遣いの使い道、何を買うかは本人の自由です。たとえ正直に書いていなくてもいいと思っていました。ただし、学習に必要な文房具や、おやつは一緒に買いにいったり、その分のお金を渡しました。


小学校低学年のうちは必要性を感じていないので、小遣い帳を出し忘れて1カ月分をふいにする人もいました。中学生になると必要性がはっきりするので、忘れることはなくなりますが、そのつど書く人もいれば月末にまとめて書く人もいたりと、兄弟それぞれみんな違いました。小遣い帳に「誕生日プレゼント」と書いてある時などはいろいろ話ができます。その月の分では足りず、購入したものの欄に「前借」とあって、翌月には「返す」というのもありました。また、何カ月も辛抱して貯めて目的の物を手に入れた人、値の張る物の場合は「お父さん手伝って」と援助を求める人もいました。その時には必ず相談に乗りました。


自分の自由になるお金をどのように使うかは、価値観や生き方そのものです。よい使い方だったのか、そうではなかったのか。すべて自分に返ってきます。だから相談されない限り、使い道には一切口を出しません。また、肩たたきをしてくれたら100円、お手伝いしてくれたら500円、成績が上がったら1000円とかいうことはしませんでした。お金に換算できないものに対してお金を払うと、本当の目的がわからなくなります。「ありがとう」「助かったよ」「努力したんだね」という言葉こそがご褒美だと思うからです。


高校卒業までこのやり方を続けました。この方法がよかったのかどうかを改めてこどもたちに聞いたことはありません。独自のやり方なので、こういうものだと受け止めていたのでしょう。みんなが成人して、7人のうち6人が結婚し家庭を持った今、それぞれが経済状況に応じて、夫婦で協力しながら楽しく暮らしているので、結果として役に立ったのだと思っています。



 

藤田春義(ふじたはるよし)
1954年秋田県生まれ。むかわ町にて保育の仕事を6年余り経験し、その後、札幌第一こどものとも社に勤務。1996年に絵本とおもちゃの専門店「ろばのこ」を立ち上げ、育児教室を開催してきた。北翔大学短期大学部非常勤講師。札幌国際大学非常勤講師。 ​
 
※この記事は庭しんぶん66号(2023年2月号)に掲載されたものです。

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